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テレビゲームの歴史(´・ェ・`)*海外編*その2

ものっそ長くなってます(;´∀`) アチャー

「世界最初の家庭用ゲーム機の開発者」

まず、ラルフ・ベア氏について語っていきましょう。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害から逃れ、亡命先のアメリカで育ったベア氏は電子技術技師になりました。1966年、ベア氏は「ゲームにテレビを使う」というアイデアを思いつき、実現のために一人で開発を始めます。そして1969年に完成した『ブラウンボックス』は世界最初のテレビゲーム機であるといわれています。その後、音響機器メーカーのマグナボックス社と協力し1972年世界初の
家庭用テレビゲーム機『Magnavox Odyssey』が発売されたのです!!しかし、『Odyssey』は世界初ということが災いし、あんまり売れなかったそうです…。それにベア氏は非常に優秀な頭脳を持っていたのですが、ゲームクリエイターとしてのセンスはあまりなかったようです…。ちなみにベア氏は、ヒギンボーサム博士よりも早くオシロスコープを使ってゲームを開発したと主張していたみたいですが、公的な資料などが確認出来ないので本当かどうかはわかりません…乙。

「ビデオゲームの父」

ノーラン・ブッシュネル氏は世界初のアーケードゲーム機『コンピュータースペース』を発表した人物です。
しかし、その『コンピュータースペース』はスペースウォー!が基になっていて、そのためMITの学生のようなエキスパート向けの難解な操作方法でした。なので、世間には難しいとウケが良くなかったそうです。
その後、『Magnavox Odyssey』に感銘を受けたブッシュネル氏は独立を決意し仲間と共にATARI社を起こします。その社名は囲碁好きだったブッシュネル氏が囲碁用語の「アタリ」からつけたそうです。
そして、1972年にATARI社初のアーケードゲームとして知られる『ポン』が発表されます。そのポンはコンピュータースペースとは違いとても世間から好評でした。そのおかげでATARIは急成長していきます。実はこの『ポン』は『Odyssey』のピンポンゲームを基に作られたゲームなのです。
ブッシュネル氏が『Odyssey』の発売前展示で遊んだ時の記憶を元に作ったのですが、オリジナルよりも遥かに面白いものになってしまったので、ATARIはベア氏に和解金70万ドルを支払うことになってしまいました。まぁそれでもATARIはどんどん成長してゆくのですが…。

というわけで、ベア氏とブッシュネル氏はテレビゲームを世間に広めたという功労者であるのです。
ブッシュネル氏は1975年にテレビゲーム機『ホーム・ポン』を発売しアメリカのクリスマス商戦で勝利をおさめました。
そして、 これからテレビゲーム競争が始まっていくことになります。

テレビゲーム機「ラッシュ」そして「アタリショック」

『ホーム・ポン』のヒットは、テレビゲームという新しい遊びを世間に広め、『ポン』と似たテニスゲームが遊べるようになテレビゲーム機が次々と市場に出てくるようになりました。また、ATARIが1976年に発表した『ブレイクアウト(ブロック崩し)』でも似たゲームが遊べるテレビゲーム機が後からぞくぞくと発売されていきます。このように、1970年代後半はアーケードゲームとしてヒットするとすぐに他の会社がテレビゲーム機として発売するというシステムになっていたのです。
そして、1977年にATARIは『ATARI VCS(Video Computer System、日本ではアタリ2600)』を発売します。このゲーム機はカートリッジ交換で様々なゲームが遊べるという、当時としてはとても魅力的なテレビゲーム機だったのです。翌年、大ヒットを飛ばした『スペースインベーダー』のVCS移植によってVCS市場は急成長していきます。しかし、ワーナーから派遣されたレイモンド・カサールはATARIの風紀粛清を断行し、才能あるATARI社員を次々とリストラしていくだけでなく、VCSへの注力のために『ポン』以来ATARIの稼ぎ頭であったアーケードゲーム部門の縮小を行いました。ATARIの親会社のワーナー・コミュニケーションズはゲーム業界のことを何もわかっっちゃいなかったんですねぇ┐(´д`)┌
つか、この人ほんとにKYじゃね?

ブッシュネル氏はATARIをリストラされ、ワーナーはよりいっそうVCSへのめりこんでいきました。ATARIは以前からサードパーティ(ゲーム機を開発したメーカー以外の参入ゲームメーカーのこと)の参入を促進するためにVCSソフトのプログラム仕様を公開していたのですが、これがまた裏目に出てしまいます。ゲームの市場というものは、次から次へと面白いソフト」が出てきます。でも、ブッシュネル氏がATARIを去って以降のVCSではクソゲーが溢れてました。粗製乱造のゲームソフトが当時はまだどのゲームがおもしろいだとか、ゲームの情報を手に入れることが難しかったため、消費者は買ってVCS本体に差し込んでゲームをプレイするまではクソゲーなのかどうなのかわからないという状況に陥ってしまったのです。そして、そんなVCS市場に止めを刺したのが『E.T.』というゲームでした。この『E.T.』というゲームはゲーム開始5分後にはゴミ箱に捨てるようなクソゲーだったそうなんです。…どんだけだよ…(((( ;゚д゚))))
まぁそれほどに購入者を絶望させる出来だったそうです…。これによって、『ATARI VCS』を含むアメリカのテレビゲーム市場は世間から見放される結果になってしまったんですねぇ…。
これは「アタリショック(Video game crash of 1983)」と呼ばれているそうです。

… ちなみに。
VCS版 『E.T.』の売れ残りはニューメキシコ州の砂漠に全て埋め立てられたとかなんとか(笑)発掘しに行きたい!!

アタリショックの影響は1985年にNintendo of America(NOA)が 『NES(Nintendo Entertainment System)』というゲームを発売するまで残ったそうです。NOAはゲームソフトのクオリティを監視し、厳選されたゲームソフトだけを市場に出すことでアタリショックを改善していったということです。

…そしてこの後の歴史はこの時代からゲーム産業が盛んになっていった日本を舞台にご紹介します(*・∀・*)
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