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テレビゲームの歴史(´・ェ・`)*日本編*その1




*1975*
アメリカで産声をあげたテレビゲーム、その技術と販売許諾を受けて国産第1号機を発売したのは現在でも一線で活躍中のおもちゃメーカー「エポック社」です。 テレビゲームの研究に着手し、日本の市場において初めてテレビの画像を使って遊ぶ新しいタイプのテレビゲーム”テレビテニス”がアメリカのマグナボックス社との技術提携によって、開発・販売されました。
ワイヤレス方式を採用したこの真っ赤なマシンは、定価19,500円で発売されました。 この頃のテレビゲームはもちろんモノクロ画面でスクリーンを左右に飛びかうボールを、2人のプレイヤーがパドルを使って互いに打ち合うという、俗に「ポンテニス」と言われるものでした。 テレビテニスはポンテニスの中でもさらに初期のもので、かんたんなゲームサウンドは奏でたものの、得点表示はできませんでした。 構造はトランジスタや抵抗、そしてICチップなどを数十個組み合わせたもので、ノイズ対策が不十分だったためにキレイな画面は不可能でした。


*1976*
テレビテニスは若者を中心に話題にはなりましたが、販売台数も少なくブームを起こすまでには至りませんでした。しかし1976年の夏、東京の秋葉原の電気街が発信源となってテレビゲームのブームが少しずつ起こっていたのです。アメリカの半導体メーカー・ゼネラルエレクトロニクス(G.I)社がICで作っていたゲームを集め、さらに数種類のポンテニスゲームが遊べるゲーム専用のLSIの量産を開始しました。そのLSIを日本のパーツ会社にも供給を始めたところ、これが飛ぶように売れはじめたからびっくりです。 秋葉原の有名な「ラジオ会館」ではテレビもたくさん販売しており、それらを使ってゲームのデモを流したことが一番効果的だったと思われます。パーツ一式で10,000円という価格もあって、サラリーマンや高校生を中心に、テレビゲームキットが次々に売れてゆき、一台ブームとなりました。テレビゲームの火付け役は、おもちゃ屋ではなく電気屋さんだったということです。


*1977*
日本でテレビゲームを作っていたのは主に小さな工場でした。欧米を中心とした海外市場向けに、輸出用テレビゲームを製造していたのですが、日本国内でもブレイクする見通しがたったため、大手玩具、家電メーカーが次々とゲーム市場に参入してきました。そして、この77年から78年にかけてテレビゲームは日本で大ヒットをとばします。 当初は大人中心の購入層も、次第に子供が中心となり、特に夏休みのセールスはすごかったようです。 その勢いはすさまじく、最初は白黒のポンテニスだけだったゲームLSIも次々と新しいものが開発され、遊べるゲームの種類も増え、画面もモノクロからカラーへと変化してゆきました。LSIの種類だけゲーム機も製造され、家電、玩具メーカーから、商社、町の発明家、権利屋、ブローカーからの売り込みにより、デパート、おもちゃ屋はもちろん、日用品店や通信販売、果てはスポーツ用品店までがテレビゲームを扱うようになっていました。 この77年からの一大ブームは一般的に「第一次テレビゲームブーム」と呼ばれています。

*1978*
好調だった大一次テレビゲームブームも、78年の半ばには下火になってきます。 これまでのテレビゲームは、そのほとんどがポンテニスの専用機で、同じ内容ばかりだったので飽きがきたようです(汗)なのでメーカーは次々と新型のゲームLSI(カーレースや宇宙船対戦ゲーム)を開発し、それを組み込んだテレビゲームを市場に送り出したのですが…ここぞとばかりにポンテニスより20,000円も30,000円も高い値段をつけたのです。ゲーム内容も未熟なものも多く、世間はガッカリしました…。こうして客離れは加速していったのです。
結局、ポンテニスブームの終息とともに第一次テレビゲームは終りを告げ、ほとんどのメーカーがこの年テレビゲーム事業から撤退していきました。 しかしながら、このブーム以降に市場に残ったメーカーは、テレビゲームの将来性を信じ、それまでの反省を踏まえて、新機軸のテレビゲームを次々と開発、発売していくことになります。

ガン( ゚д゚)ガレ!!


*1979*
79年はテレビゲームのパイオニア「エポック社」がほとんど市場を独占していました。 この年の主力製品はテレビブロックです。アタリ社が製造したゲームLSIを輸入し、日本で組み立て改善を加えたのにも関わらず、13,500円という低価格で発売されました。 また、新次元のおもしろさと商品力を持った製品として、いよいよマイコン搭載テレビゲームが登場します。東芝のビジコン、バンダイのスーパービジョン8000、そしてアタリとエポック社のVCSの3種類で、それまでのテレビゲームがゲームLSIを使った1機種1ゲームであったのに対し、ソフトを替えるだけで別のゲームが遊べるという現在のゲームと同じスタイルのゲームです。 しかし、このハードウェアは大変高価なコストがかかるので、メーカーと買う側の両方にとって採算がとれる商品とは言いがたいもので…残念ながら今ひとつ売れませんでした。 ゲーム業界全体としてみれば、この79年は停滞期だそうです。日本全国を席巻したインベーダーブームも終わり、町のゲームセンターは次々閉鎖していきます。ゲーム業界は新しいゲームを次々と発売するも不振が続きました。、あれだけ熱かったゲーム黄金時代は終わりかと思われました(滝汗)

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最終更新日:2017/4/6

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